旧落石無線送信局跡(現 池田良二スタジオ)

北海道根室半島南部の太平洋側、サカイツツジの自生地となっている草原のなかに佇む鉄筋コンクリート造の要塞のような重厚な建築物。もとは旧逓信省管轄の落石無線電報局として1908年に開局、幾度かの火災・戦災に見舞われ、1925年に現在の姿に再建された。建物自体が北米航路の要衝である根室の要としてさまざまな歴史的出来事に立ち会ってきた重要な生き証人でもある。たとえば、1929年には、ヤクーツク飛行中のドイツ飛行船ツェッペリン泊号と日本初の交信に成功、また、1939年、太平洋無着陸飛行中のリンドバーク機を無線により誘導、偉業達成を陰で支えた。現在は根室出身の銅版画家、池田良二氏(武蔵野美術大学教授)の個人スタジオとして廃墟の状態からの改修途上にある。かつて、無数の船舶や航空機だけでなく、幾多の場所との交信を繰り返してきた、いわば、外に向けて無限に対話が開放されていた特殊な空間、限りなくパブリックな場であったといえる。

落石無線電報局沿改史

明治41年12月26日 根室郡和田村大字落石村落石大岬に落石無線電信局開局
大正4年6月15日 カムチャッカ半島南端ペトロパブロフスク局とわが国初の国際無線通信業務を開始
大正5年1月10日 30kW送信機と鉱石受信機により3,100カイリ離れたハワイのカフカ局と試験通信に成功
大正12年9月1日 関東大震災が発生(マグニチュード7.9〜8.2)
大正12年12月21日 現在の建物が建設される
昭和4年8月17日 ドイツ飛行船ツェッペリン伯号と航空無線通信に成功
昭和5年11月1日 エトロフ島紗那局と国内無線通信業務を開始
昭和6年8月16日 アメリカのリンドバーグ大佐の太平洋横断飛行にさいし、同機との無線連絡に活躍
昭和14年8月31日 東大航空研究所の太平洋横断機「日本号」の淋代〜アンカレージ間飛行中無線連絡確保に成功
昭和21年5月5日 戦災により焼失した送信所施設庁舎等復旧
昭和27年3月4日 十勝沖地震にさいし厚岸群浜中村霧多布部落被災救助のため、同集落の通信確保に活躍
昭和34年6月13日 送信所を受信所と同一敷地内に移転、同時に長波を撤去

落石無線電報局沿改史より抜粋、一部加筆